12月15日、本会議の議案質疑において松本議長が「質疑は自己の意見を述べる場ではない」と芦田の発言を制止する場があった。この点について解説が必要と感じたので、以下のとおり記載する。
質「疑」は、議題となった事件について疑義をただすものであり、自己の意見を自由に述べることができる質「問」とは区別される。
『議員必携』(全国町村議会議長会編、学陽書房)に質疑は「自己の意見を述べることができない」との記載があるが、「自己の見解を述べないと質疑の意味をなさないようなものについてまで禁止しているものではない」と続く。
『議員必携』以外にも次のような見解が存在する。
「ここでいう『自己の意見』とは、討論の段階で述べるような事件についての賛否の意見をいうもので、質疑をするに当たって、補足説明的に『私はこの点については、このように考えるが、提出者としてはどうか』というようなものは、質疑の体裁の上から必要ならば許されるべきものと考える」(地方議会運営研究会編著『地方議会運営辞典』ぎょうせい、305頁)
「条例案に対する質疑の場合に、個々の条文の意義や解釈について質疑するだけでなく、条例の目的に対する質疑等も対象になるはずです。例えば、条例が目指すものの実現のためには他の方途も考えられるが、なぜ、こういう方途・規定を採用するのか、といった疑義の解明も質疑として認められるべきだと思います。そうなると、その前提として、こういう方途もあるという発言は自己の意見を述べることになるわけですから、質疑に自己の意見を述べることも必要な場合もあります」(鵜沼信二著『ポイント別でわかりやすい!地方議会・議員の基礎知識』中央文化社、97頁)
畢竟すると、質「疑」においても自己の意見を述べることはできる。しかしながら、質「問」とは違い制約・限界があるということになるが、どこまで許されるかの判断は正直難しいと思われる。
これを本件についてみると芦田の「不祥事直後に3役の期末手当をアップするのは、いかがものか」という趣旨の発言は確かに「自己の意見」ではあるが、提出者の意図に対する質疑であり、「自己の見解を述べないと質疑の意味をなさないようなもの」に該当するところ、提出者に前述した見解を問う本件質疑は適切なものであったと解するべきではないだろうか。
よって芦田は「自己の意見を述べないと質疑の意味をなさないので許される」という見解であり、一方で議長は「質疑から逸脱して『自己の意見』を述べている」との見解を思われる。
これは見解の相違である。見る人によっては、「芦田は議員なのに議会のルールも知らないのか」という印象を与えるため、まさに「自己の意見」を述べさせていただいた。
2023年12月15日
久御山ジャーナル編集部
編集長 芦田祐介